岳参りで永田岳に行きました。
享保7年と石碑には書いてある。永田岳の祠、1722年8代将軍徳川吉宗の時に岳参りという儀式で、長田の人々は永田岳にお参りに行っていた。
石碑には長田と言う文字が刻んであるので、当時にはこの字を使っていたみたいだ。
時代と共に字が変化していったのだろう。
11月9-10日 晴天の中登って、ご来光にも恵まれて総勢7名で儀式を行いました。
一度は岳参りの儀式が中断してたのを、柴 てっせい氏らによって復活させてもう20年ぐらいたっている。
一度資料を作られたのをいただいたのが、紛失してしまった。
江戸時代の岳参りが始まったころに、天変地異なできごとがあったみたで、法華宗のお坊さんが永田岳に登ってお参りしたことが発端になってるみたいだ。
槍ヶ岳開山という本を読んだが、江戸時代には山に登りお参りがいろんなところでやられていたみたいだ。
僕も昔インドのパルバティという渓谷で、他所の村からの岳参りに来た14,5-70歳ぐらいの岳参りの人々と出会ったことがある。
パルバティのむらの人々は神輿を担いで、山に登って行ったのも見ていた。
そういう儀式が日本の屋久島で出会ったことに、大変驚きを感じた。
高い山があるので、下流には水が流れ田んぼ、野菜が採れる、水が飲める、家畜が育てられる、良い漁場ができて魚も捕れる。
屋久島では春に五穀豊穣、皆さんの安全などえお祈り、秋には収穫の喜びを報告に行く。
宗教を超えた自然崇拝の心からの行動でしょう。
そういう儀式がまだ日本にも何か所かあるみたいだ。
たまにはタイミングが合わなくて、次期をずらして岳参りには行ってる。
インドでもそうだった、岳参りをしてるところの水は飲めていた。
綺麗な水が流れてるのが、共通点だと思った。
下流域は残念ながら水は飲めないが、ここ屋久島では小さい沢は飲めるところもあります。
できればこういう意識がづっと続けば、地球の将来も悪くはならないだろう?
今回も岳参りに行けて、ご来光も見れて感謝!